2代目理事長のあいさつ

はじめまして。「認定NPO法人いもむし」の理事長を就任しました、佐藤綾子(さとうあやこ)と申します。数あるサイトの中からこのページをご覧になってくださりありがとうございます。お時間の許す限り、ごゆっくりご覧いただければ嬉しく思います。

私たちのことを初めて知った方もいらっしゃると思いますので、私たちがどのような想いをもって、どのような活動をしているのか、また、私がどんな人間なのかを紹介させて頂きたいと思います。少しの時間お付き合いくださると幸いです。

吉田登美子さん(初代理事長)との出会い

28年前、末の息子が2歳半の時に家族で柏市に引越してきました。私は、金融関係に勤めていましたので、保育園に息子をあずけていました。その保育園の園長をしていたのが吉田登美子さんでした。保育園の子供たちや保護者の心配事などに耳を傾けてくださり、私も子育ての悩みを相談すると、親身になって聞いてもらい今でも感謝しています。

福祉のお手伝いをしようと思った理由

吉田さんは千葉県単独事業である知的障がい者の生活ホームを個人で運営しており、自宅を開放して知的障がい者の方たちの支援をしていました。
ある日、もう一軒生活ホームを増やすので、その生活ホームで支援のお手伝いをしてもらえないかというお話がありました。

でも、私は事務職の仕事でしたので、福祉は素人です。自分にいったい何ができるのかと不安もあり、どうしようか悩んでいました。

吉田さんご自身も障がいのお子様をかかえながら、障がい者の方の支援をして「これが神様から与えられた私の天職、生きている間この人たちと共に生きたい」と言われていました。そのような姿をみて、このように生きている人がいるんだと、とても感銘を受けました。

吉田さんの話を聞き、生活ホームを見学する中で「今よりちょっぴりマシな自分になりたいな」という想いがふつふつと湧いてきて、お手伝いをしてみようと思いました。家族に相談をして賛成してくれたのも、背中を押してもらったように感じました。

とはいっても、支援を始めたばかりの時は、利用者さんたちとのコミュニケーションが上手くとれませんでした。ご飯を食べない、帰ってきて玄関から動けなくなってる、急に怒り出す、人のものを盗ってしまう等々、理由を聞いても返事がなかったり、また返事を聞いてもよくわからないことばかりでした。

利用者さんの行動が理解できなくて、とても大変でした。失敗も多くあり、「辞めたい」と何回も思いました。そのたびに吉田さんや支援学校の先生に来ていただき、話を聞きながら対応していきました。皆さまのおかげで続けてこられたのだと思っております。

何年か経つと、少しずつですが、利用者さんたちとスムーズに会話できるようになり、利用者さんの考えが少しずつ分かるようになってきました。また、日々の生活の中で、最初できなかったことができるようになっており、利用者さんが成長しているとわかることがありました。利用者さんの成長をみると、嬉しくなる感覚をおぼえるようになりました。

NPO法人いもむしの誕生

吉田さんから、障がい者支援の目的で、NPO法人を立ち上げたいという夢を聞いて、私や夫、長女もその夢に賛同し、一緒に夢をカタチにしたいと、NPO法人の立上げをお手伝いしました。そして、2006年5月「NPO法人いもむし 理事長吉田登美子」が誕生しました。この時、私も理事になりました。

障がい者の人達の働く場所

私たち家族は一つ屋根の下で、障がい者の人達と、一緒に住んでいましたので、就労の現実を目の当たりにしていました。仕事に行ける人はよいのですが、働く場所がない人は家にいるしかありません。やっと仕事場が見つかってもいじめられたり、リストラにあったりと就労する場所がないことが一番の悩みでした。こういった現実を見ているなかで「障がい者の人たちが普通に働ける場所を作れないか?」と思うようになりました。

いもむし立ち上げと同時に、吉田さんの希望で、私たち家族は障がい者の就労目的で作業所を開設しました。夫のつてで、倉庫でできる商品の検品や値付けなどの仕事を見つけて、利用者さんの仕事場を作りました。しかし、荷主さんと契約の時に、NPOでは契約できないと言われてしまい、急遽株式会社にして、契約をして利用者さんの仕事をする場所ができたのです。

作業所としてスタートしましたが、3年が過ぎるころには、いもむしで土地を借りて、「いもむし農園」で野菜を作ったり、布草履などの手作り品を作れるようになり、私たちが作った作業所に来なくても、いもむしで作業ができるようになりました。

作業所ができて3年程経った2009年に夫が病気のため天国に旅立ちました。そのあと私が社長として会社を引継ぎ、作業所でスタートした会社を倉庫業、配送業など13年間営業して、2018年に閉鎖しました。私が会社を経営している間は、いもむしの理事にはなっていましたが、直接いもむしの業務に携わる機会は減っていました。

いもむしに戻る

やっと、社長業という肩の荷がおりて、これからは、体調を整えながら、一人で楽しくのんびりと仕事をしていこうと準備をしていました。

その矢先に、吉田理事長から、病気で手術をするので、いもむしの事務局を手伝って欲しいと電話がありました。私としては、「何というタイミングなんだろう。私が会社を辞めるのを待っていたようだな。」と、そのように感じましたので、少しでもお役に立てればという思いで、「いもむし」のお手伝いをすることにしました。

次々に職員が辞めて

私が入社して3年が過ぎると、いもむしの支援や事務の業務を担っていた職員が次々と辞めてしまいました。その中には次期理事長として吉田さんが期待していた人もいました。入社した時はパートで、いもむしの業務に深く携わってはいませんでしたが、職員の退職を機に吉田さんから常勤として働いてほしいとお願いをされました。せっかくお手伝いをすると決めたのでできることをやりたいと思い、常勤として会計や法人全体の管理をすることになりました。

理事長の交代

私が常勤になりしばらくすると、理事長の病気が再発して体調がすぐれない日が続くことがあり、入退院を繰り返すことが多くなりました。私は30年近く吉田理事長とお付き合いをさせていただいておりますが、いつも元気で疲れも知らない身体で、楽しく飛び回っている吉田さんしか見たことがなかったので、とても寂しい気持ちになりました。

今年の理事会で、理事の方々からも、吉田理事長の体調を心配し、理事長としての責務は重いのではないかという意見がありました。

吉田さん本人から、「今の状態がすぐれないときは入院などの治療をして、自宅でのんびり過ごしましょう、と担当医から言われているので、理事長という責任は負いかねないので理事長を交代してもらいたい。次の理事長は佐藤さんにお願いします。」と言われました。

私自身は理事長になるということは全く考えていないので正直驚きましたが、吉田さんの理事長の任を降りる旨を開きましたので、その中で、吉田さんをはじめ、理事の方々からの推薦を受けて、私佐藤綾子が理事長を就任させていただきました。

「いもむし」を成長させる

前理事長や理事の方々からいもむしの理事長を推薦されてから「いもむし」という法人をどのようにしていくべきか考えました。

いもむしは嫌われているかもしれない。でも、一生懸命生きて最後にはちょうちょになって羽ばたく。利用者も一生懸命生きて成長して社会に羽ばたいてほしい

「いもむし」という法人名を吉田さんがつけた理由です。私もこの想いを継ぎつつ、法人がより利用者さんと地域に貢献できるように成長させようと考えています。

私が理事長として目指している目標が2つあります。

一つは職員の良いところを見つけ、伸ばすことができる職場づくりです。

人には良いところ、得意なことがあります。その力を十分に発揮できる場所で支援ができれば利用者さんにとってより良い支援ができます。支援をする人、支援を受ける人、共に成長できる環境づくりを目指します。

もう一つは、利用者さんが楽しく過ごしながら成長できるような施設運営と改善です。

みんなが楽しく過ごすには?と職員全員が考えることが大切です。そのために、環境を整理・清潔・整備をして安全と安心な居場所づくりを目指します。

私一人でこの目標は達成できません。職員や理事の皆さん、利用者さん、利用者さんのご家族、地域の方々と協力をして目標を目指し、いもむし法人を成長させたいと考えています。今まで、ご支援、ご理解をしてくださった皆様には心より感謝申し上げます。

どうぞこれからも「いもむし」を応援してくださることをお願いいたします。

理事長 佐藤綾子

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